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三寶院外観


門樒とは

三寶院も以前は世間一般の松竹梅、南天、葉ボタンで飾った門松を造っていましたが、平成17年から、日蓮正宗独自の伝統的門樒(かどしきみ)を造る様にしました。門松は、新年に歳神を迎える依代(よりしろ)目印と解釈されていますが、日蓮正宗では歳神も含め、諸天善神は常に存在するもので、正月だけに降りて来るものではなく、法華経の行者守護の任が本来の努めであります。故に、日蓮正宗の門樒は、世間の慣習と、本尊に御供えする樒を世間に向けて飾り、一般の人々にも、ここに本門の本尊が御座しますことを、妙法の縁として正月に示す意味を持って飾ったと思われます。いつ頃からどういう意味でといった資料が一切ない状態ですが、毎年、大石寺の三門に門樒が飾られます。

 


門松の由来

正月に玄関に飾る【門松】は、古くから、本の梢に神が宿ると考えられていたことから、【門松】は、その年の歳神を家に迎え入れる為の依り代( 招き寄せる印) という意味で飾られたというのが一般の説であります。

日蓮正宗では、諸天善神はいつでもどこでも常に存在し、法華経の行者を守護するという法華経の教えですので、一般の年の初めに迎入れるという説には、当てはまりません。日蓮正宗で【門松】ではなく、【門樒】にするのは、信仰していない御寺の外にいる一般世間の人々に対して、ここに法華経の南無妙法蓮華経の本尊がまします事を示し、法華経守護の諸天善神もここに集っている事を示す為に飾るのであります。

【門松】の真ん中に立てる竹は、日蓮正宗では、日目上人の紋を【松竹梅】に定め、松は永遠常住、常緑。竹は真っ直ぐ天に向かい延び、上下、師弟の節目を守る。梅の様に薫り高く、天下に妙法の香りを伝える信仰。を、表現している、竹の姿を写したものであります。

現代の【門松】の竹の先端は、斜めに切つた「そぎ切り」がほとんどですが、この「そぎ切り」は、徳川家康が「三方ヶ原の戦い」(1572)で、生涯唯一の敗北を期した事に怨念を持ち、今年こそ武田信玄の首を切り落とす決意を表明したものと言い伝えられています。それ以前の世間の【門松】は「寸胴切り」がほとんどであったといわれます。世間とは恐ろしいもので、上の者が行う事を猿まねし、いつの間にか変化の意味を忘れ「そぎ切り」の姿の方が、竹のいさぎよさが表れていると考えられ世の中に波及していったのであります。

私は、平成11年の末まで、不明にして、この意味を知りませんでした。この意味を知った以上は、権力者が一年の始まりを自分の欲望と怨念で汚しても平気な形態は取りたくない。日蓮大聖人様の「正月の一日は日のはじめ、月の始め、年のはじめ、春の始め、此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、徳もまさり、人にも愛され候なり。」森羅万象の源である久遠元初本因妙一念三千の法を祝うというと考えを中心にすれば、ささやかでも、三寶院から止めようと考え、平成12年の正月の【門樒】から今迄何も知らないで行っていた「そぎ切り」から「寸胴切り」の形に変えました。

私は、平成11年の末まで、不明にして、この意味を知りませんでした。この意味を知った以上は、権力者が一年の始まりを自分の欲望と怨念で汚しても平気な形態は取りたくない。日蓮大聖人様の「正月の一日は日のはじめ、月の始め、年のはじめ、春の始め、此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、徳もまさり、人にも愛され候なり。」森羅万象の源である久遠元初本因妙一念三千の法を祝うというと考えを中心にすれば、ささやかでも、三寶院から止めようと考え、平成12年の正月の【門樒】から今迄何も知らないで行っていた「そぎ切り」から「寸胴切り」の形に変えました。



外壁

外壁

多くの方に深く信心の事を考えて頂きたいと思い、国道に面する外壁に基本的な世間の信仰観の間違いを明示しました。

御宝前

平成20年御会式

 

三寶院アメリカ法華講の御会式

三寶院アメリカ法華講御会式

毎年6月下旬の暑さの中で行なう、米国の御会式の桜の華です。

三角餅、平餅、アラレ餅、棹餅等は紙で作り、華の胴は木製です。三寶院の約1/3のミニサイズに作りました。

華の材料は三寶院から運び、メンバー皆んなで御華造りをします。

英語に訳した、日有上人、日蓮大聖人、日興上人の申状をメンバー全員で唱和します。

日有上人申状の後に住職が立正安国論を奉読し、信者さんは英語の立正安国論を黙読します。

米国にも必ず桜の華(日蓮大聖人の仏法によって仏性に目覚める)が満開になる時が来ます。



平成30年御会式




仏供畑

仏供畑

 三寶院では境内地の一角に「日蓮正宗三寶院仏供畑(ぶくばたけ)」と看板が立てられた畑があります。この畑で採れたナス、キュウリ、ズッキーニ、ブロッコリー、キャベツ、アスパラ、オクラ、エンドウ、インゲン、そら豆、蕪、スティックセニョール、カリフラワーなど、農薬の使い方が分からないので、自然に任せた無農薬にしている為、実った野菜はとても美味しく、その上、自分で世話をしたものを御霊具膳の具材として御宝前にお供えできることは大変有難いことです。(カボチャ、ジャガイモ、スイカ、トウモロコシは、猪の餌になり、畑が荒らされるので止めました。御宝前に御供えできませんが、畑の一角で、唐辛子、シシトウ、ピーマン、ネギ、玉葱等も育てて、食しています。)
 そうは言っても、初めから畑を作る予定も、畑仕事をするつもりも夢にも考えていませんでした。昭和60年に求めた今と同じ土地の「福山布教所」として御世話になった古い建物を取り壊し、平成18年に新寺院を建立する事となりました。御寺から70メートル程離れた所に、平成12年に駐車場を購入していましたので、雨の日は少し不便ですが、違法駐車で近隣に迷惑を掛けることも無く安心していました。そして、新しい御寺を立てて寺院としての基本概要が整い、少しほっとしていたら平成23年突然、過去に何度も売ってくれるように御願いした時には、断っていた、御寺と地続きの前の畑の地主が、土地を買ってくれないかと言って来ました。購入しても駐車場として平地にする為には随分御金を掛けなければいけない地形でしたので、役員の方々と協議すると、将来の事を考えると、体の不自由な人が増えるので、御寺の前に車が止められるように是非して貰いたいとの事で、決断しました。ところが、買いますと返事をした直後に、後出しの条件として、土地の南側に人が通れる20メートルくらいの細い土地がついていてその奥に50坪ほどの広さですが、道路に面した斜面のため、家も建てられないし駐車場にも使えず、単独では売り出せない土地も一緒に買ってくれないと売らないというのです。釈然としない乍ら、致し方なく条件を飲み、購入しました。
 すると、今度は市役所から「宗教法人上、寺院に使う用途としての用地でないと税金を掛ける」と言われました。「こういう経緯で購入したのであり、見ての通り、何かに使って利益を得られる様な土地ではないので税金は払えない」と役所へ申し出ますと、役所側の方が、あれこれと頭をひねり、「寺院用の畑として使用するのはどうか」との案を出され、更に「仏供畑」との名称案まで考えてきました。
 その案を受ける形で畑にすることになりましたが、畑には用地の用途を示すための看板を立てなければいけないとのこと。しかも手書きでは駄目だということで、業者に注文して看板を作成・設置することとなりました。土地がひな壇状に斜めになり、交通量の多い国道に面していることから、設置した看板は通行人や参詣者の目にいつも触れる位置であるため、畑を放っておくこともできず、畑仕事の手抜きもできません。
 このような経緯で、前代未聞の「仏供畑」の看板が設置された畑で、慣れない畑仕事をせざるを得なくなったのです。
 駐車場の造成をしてくれた土木会社の担当の方が、とても丁寧で心優しい方で、駐車場と畑に延びる道と階段と畑の崩れている法面の土止め工事をしてくれている折に、私が、これから、瓢箪から駒の、やる気のない畑、プランタンでサラダ菜を育てるという様な広さで無い、何の知識も経験も無い畑をどうしようかなあ~っと、溜息まじりの独り言の様に愚痴をつぶやいた時に、「大丈夫、私もそうだが、適当に肥料をまぶして、食べたいなと思う種や苗を買って来て、蒔いたり植えたりしとけば、後は自然が育ててくれるんだ。よし、サービスで何年も放置され胸の丈まで草ボウボウの土地を、仕事の休憩時間を割いて、家の耕運機を持って来て、耕して、畑をする事が出来るだけにしてあげるから。」と言ってくれて、草の根が絡み耕運機が何度も止まる程の作業をしてくれた。後は自分で腐葉土、牛糞、肥料を求め、鍬で耕しまぶしながら畝を作った。実際に畑仕事を始めて土地を耕してみると、昔の古銭や茶碗の欠片などが土の中から出てきて、「どんな土地にも人間の営みがあるのだなあ~、この土地にかつて暮らしていた人がいたんだ。との思いを馳せることも出来ました。
 それまでは、雨の日は鬱陶しくて嫌いでした。しかし畑をする様になってから、雨の日、雨の次の日は、重い水を持って畑に行かなくて良い事を考えると、心から笑顔で、雨は天の恵みだなと思える様になりました。又、それまでは、ミミズを見ると気持ち悪いなと、思っていましたが、土地を耕し、草取りをしている時、ミミズに合うと、ミミズさんだ、土地が耕されていて栄養が行き渡っていているんだなと嬉しい気持ちになります。人間の心は縁によって、こんなに露骨に変わるものかと我ながら驚いています。雑草は抜いても抜いても、逞しく、勝てません。兎の様に雑草を食べられたら野菜を作らなくても良いのにと思うほどです。畑に行くたびに二三十分草を抜くのですが、追いつきません。しかし、野菜を守る為、野菜の廻りだけは何とかと思い、十本抜けば一本助かると思い精を出します。今では、雑草を尊敬している状態です。
 そして、一番深く心に沁みた事は、長年御信者さんが作った旬の野菜を、御本尊様に御供えしてくれた、その野菜や御米が、どれ程丹精込めて作られたものなのかを、心の底から分かっていなかったという事に初めて気付いた事であります。 
 「晴耕雨読」と言う言葉がありますが、畑をするようになって、全ての生命が繋がっていて、支え支えられ合って、生きている事を以前より深く実感出来るようになりました。 毎朝、水と小さな籠にハサミを入れて、その日のささやかな収穫をして、御宝前に御供えし、御題目を三唱する度に、本当に人間の力は、ほんのちょっとで、殆んどが自然が育んだものなんだなあ、一つの野菜でも、全ての自然が関わって成長しているんだなあという事を教えて貰っている毎日です。