日蓮大聖人が明かされた法

森羅万象全ての生命は、神や仏や、特別な存在が造ったものでも、統治、所有しているものでもありません。私達に与えられている一生という時間には、生老病死の人生で、始りがあり、終わりが有る様に思えますが、真実の時間は、永遠の過去、永遠の未来であり、始りも無く、終わりも無い、永遠常住なのであります。
時間だけでなく、永遠の拡がり、永遠の体積の中で全ての生命は繋がっています。宇宙も、始りと終わりが有るとの考えがありますが、永遠常住であります。その全ての生命の繋がりを、大海に譬えると、私達の生命は大海から縁あって取り出された一滴のしずくの様な存在なのであります。
しかし、この一滴のしずくに大海全ての生命と同じ成分が具わっています。生老病死の人生が終えると、全ての生命が繋がっている、元の大海に溶け込むように戻ります。大海には生老病死の始まりも終わりもありません。無始無終永遠常住です。ですから、Aという生命Bという生命Cという生命という固定化した輪廻転生もありません。
全ての生命に支えられ、全ての生命を支え、全ての生命は仏の生命とも繋がり、全ての生命は平等で、生命に差別ランクはありません。全ての生命は、この道理を信じ、この道理に叶う事で、誰もが仏に成る事が出来ます。
人類レベルの人権としての自由と平等では無く、仏権としての絶対の自由と平等の法です。
この道理、法を、南無妙法蓮華経と明かしました。
この法を、日蓮大聖人は私達に初めて解き明かしてくれました。
この道理、法は、全ての生命に仏の生命が具わっていると示す法ですから、異教徒、民族、人種、性別、権力、財力で差別し殺戮し否定する事を正当化し肯定する事は、この法の否定と矛盾になりますから、許されません。
ですから、この法は、この世の中に真の自由と平等と平和を実現する唯一の法なのであります。人間は人間だけで生きられません。水や空気や他の全ての生命が無ければ生きて行けない生命であります。
その人間が神に似せられて造られたから、全ての生命の中で一番尊く、動物は人間に食べられる為に生まれて来たから下等だと言えるでしょうか。
真実の法は、古い新しいの時間と国土、民族、文化文明の違いを超越して、真実であります。
この道理、法を日蓮大聖人は、久遠元初・本因妙、一念三千の法、南無妙法蓮華経として明かされました。
世の中に沢山有る宗教は、ほとんどが人間に似せた釈迦如来像、阿弥陀如来像、大日如来像、観音菩薩像、弥勒菩薩像、キリスト、十字架、等々を信仰の対象、本尊としています。日蓮大聖人だけが、南無妙法蓮華経の法を本尊にしました。
仏の使命と責任は一切衆生を平等に成仏に導く事ですから、日蓮大聖人も仏は尊敬します。
しかし、仏も元々は我々と同じ凡夫であり、その凡夫が修行し法を悟り仏に成ったのであります。
私達は仏を本尊として拝むのでなく、仏が悟った南無妙法蓮華経の法を信仰しなければ、仏と同じ様に仏にはなれない、どれほど、釈迦如来を拝んでも、釈迦如来が悟った南無妙法蓮華経の法に目覚める事、自分の生命に具わる南無妙法蓮華経の仏性に目覚める事は出来ないのであります。
その為に、日蓮大聖人だけが、唯一、南無妙法蓮華経の法を本尊に顕したのであります。
仏に救って下さい、守って下さい、助けて下さい。病気が治る様に、御金が儲かる様に、悩みが無くなるようにと現世利益目的で、おすがりする信心では無く、自分の生命、他の生命に具わる仏の生命を感じ、少しでも仏の生命に叶う生き方をしようと志す事が、本当の生き方、本当の安心を得る本当の信心なのであります。