芝川

芝川 1975年5月創刊  編集責任者 廣田頼道

 

今までの掲載論文を50件程ピックアップして掲載しております。

一切衆生成仏の法とはどうあるべきものなのかを考えるささやかな道標にして頂きたいと思います。

在庫のある号はお求め頂けます。お電話、FAX、メールにて御注文下さい。

 

大聖人と貞観政要 No.28号  1979.6.28発刊

大聖人と貞観政要(続)No.30号  1979.10.25発刊

現時における大聖人  No.31号  1979.12.10発刊

御本尊の取り扱いについて  No.33号  1980.4.3発刊

王仏冥合について  No.34号  1980.6.5発刊

金口と嫡々  No.36号  1980.11.30発刊

大石寺にねむるもの No.39号 1981.6.20発刊

日蓮正宗の血脈とは  No.4号 1982.12.20発刊

絵柄綾織紋衣の否定   No.9号 1991.3.1発刊

 衣によって階級をつけることの愚。「唯当流の法衣のみ薄墨素絹五条にして永く諸門流に異なり」

絵柄綾織紋衣の否定(続)  No.12号 1995.6.7発刊

 四十四世日宣上人、四十八世日量上人の資料より検証する。

絵柄綾織紋衣(名聞名利なおしゃれ着)の否定(三) No.23号  2010.5.5発刊

 一切衆生成仏の法を表わした忍辱の衣を法衣と称する。

『奉血脈相承第六十二世日恭上人書』解説① No.10号 1993.4.15発刊

 山永登氏が日恭上人へ宛てた書面の原文。

同書著者プロフィールと読後感 No.10号 1993.4.15発刊

 戦中、戦後の当宗の反省点。僧侶が仏法よりも自分の保身に走ることの愚。

法前仏後の人法一箇  No.10号  1993.4.15発刊

 妙法は森羅万象と共にもともとあり、仏はその法により悟りを得る。その法は私達にも備わっているのであり、そのことを信じ修行することが大切なのです。

時の貫首たりと雖も① No.11号 1994.7.1発刊

 妙信講問題に端を発した日達上人の過ち。自分の反省懺悔を込め、弟子として報恩の至誠を一分でも尽くしたいとの思いで一文を草した次第です。

丑寅勤行について考える No.11号 1994.7.1発刊

 富士の法門を後世に伝える為、丑寅勤行の意味を踏まえ、意義を守り、化儀振舞いを守ることは大切なことです。47p【誤り】岩将軍→【正】岩蔭将軍 お詫びして訂正致します。

Aさんからの手紙へ  No.11号 1994.7.1発刊

富士門流の血脈観(阿部発言と貫首無謬・絶対論の過ち)① No.12号 1995.6.7発刊

 血脈法水の源はどこにあるのか、血脈の中に於て大聖人、本尊、貫首がそれぞれどの位置にあるのか、おおいに議論し研鑽して行きましょう。

本尊とは何か① No.13号 1996.12.5発刊

 近年、宗門側の主張する戒壇本尊絶対論は、日蓮大聖人の本懐から外れる間違った考え方であります。御本尊に顕された真の意義をよく考えなければなりません。

日蓮大聖人の教義を否定する『御肉牙』なるものを否定する① No.14号 1997.12.27発刊

 「日蓮大聖人様が御在世の時、歯が抜けて、その歯に肉片が付いていて、広宣流布の時点でその肉はどんどん増えていき歯を全部包み込む」は天魔波旬の所業である。

日達上人の位牌  No.14号 1997.12.27発刊

 位牌を故人に見立てて扱うことは間違いであります。亡くなった人を中心にせず、御本尊を中心にしてこそ、故人の追善供養並びに成仏が遂げられるのです。

日目上人再誕・再来説のまちがい No.14号 1997.12.27発刊

再生塔婆は悪いことだ  No.15号 1998.12.20発刊

 いつの時代から、こんなことが寺院運営の常識になってしまったのか分からないが、一刻も早く改めることを、自戒をを込めて問題提起させて頂きます。

折伏とは何か① No.15号 1998.12.20発刊

 今までの創価学会主導の強引な折伏を改め、常不軽菩薩の姿を通して、真の折伏のあり方を考えなければならないと思います。

日蓮正宗の高座説法(新説免許)における『願文』について根本的に改めなくてはならない事 No.16号 1999.8.15発刊

 『願文』の出所のたしかさ、意味内容の高座説法に対する適格さ、深さ等を今一度検証し、議論し、改善すべきであります。

戒壇本尊とは何なのか① NO.17号 2001.1.15発刊

 御本尊に順位、差別があるのだろうか、御本尊の意味、働き、効果が違うのだろうか?

建長五年四月二十八日は宗旨建立にあらず  No.17号 2001.1.15発刊

 この日には、まだ真言宗も天台宗も批判していない、本尊も表わしていない、法華身読もしていない、師弟一箇すべき弟子もいないのですから、宗旨を建立したとは言えないのです。

建長五年四月二十八日は宗旨建立にあらず(二) ①、  No.18号 2002.5.10発刊

 日蓮大聖人様は、出世の本懐として熱原法難を機縁として一切衆生成仏の確証を得、本門の本尊を顕されたのです。

坊主に裏切られた坊主 坊主に裏切られた信者 No.18号 2002.5.10発刊

大石寺という名前が意味するもの No.19号 2003.8.1発刊

煩悩を断ち切れない、すなわち元品の無明(大石)を持った衆生が成仏できる正法は、ここにしか無いとの意味が込められている。

大石寺の主張する金口嫡々血脈相承の現実の虚妄  No.19号 2003.8.1発刊

 貫首とは、法を未来に継ぐ為の機関であって、法そのものの主権ではありません。本来の相承、血脈とは何かをよく考えなければなりません。

正信会は何故宗教法人を設立しないのか  No.19号 2003.8.1発刊

 包括宗教法人設立の是非について、正信会の一人一人が、今まで有耶無耶にしてきたことを真剣に整理して考えるべきであります。

正信会は何故宗教法人を設立しないのか②  No.20号 2005.2.16発刊

 宗教法人設立申請にあたり「十界互具の本尊」としたが、はっきりと宗旨に基づいた趣旨を明記すべきであります。

日達上人迄は正しく血脈は流れていたが、日顕上人(本名阿部信雄)で血脈は断絶した。①  NO.20号 2005.2.16発刊

 日蓮大聖人の言わんとした血脈とは何なのか、研鑽し議論することが正信会の責務であります。

今でも大石寺大坊の起床は軍歌ですか? No.20号 2005.2.16発刊

折伏(広宣流布)とは何なのか① No.21号 2006.8.1発刊

 日蓮大聖人様の目指された広宣流布とは、単なる勢力拡大では無いのです。折伏の意味をよく考え、そして実行することが重要であります。

靖国神社に参拝する意味 No.21号 2006.8.1発刊

岩切護道さんからの「寺報」と「御手紙」①  No.22号 2009.2.1発刊

 日蓮正宗は近年、自宗の宗旨がどこに建立されているかも分からなくなってしまっています。仏法の為、一切衆生成仏の為、議論し明らかにすることが必要です。

日蓮正宗における引導文とは何なのか  No.22号 2009.2.1発刊

 引導文の意義、役割等々考え、試案を掲載致しました。僧俗共に、深く一考と議論を願うものです。

町内会の皆様に御願いします  No.22号 2009.2.1発刊

 町内会での果たすべき義務と責任。信教の自由と政教分離。

葬儀場にお願い申し上げます  No.22号 2009.2.1発刊

 信仰を中心とする当宗の葬儀に、葬祭社の過剰な演出は必要ありません。

臍のゴマの正しい取り方  No.22号 2009.2.1発刊

 所詮「貫首本仏論」は「臍のゴマ」と同じなのであります。

遙拝勤行の意味するもの①  No.22号 2009.2.1発刊

 己心の仏界にこそ、本因妙の法が存在することを示し伝えている法門なのだから、直拝している本尊もすべて遙拝の信心を持って拝すべきであります。

創価教育学会の回想-私が接した牧口会長・戸田理事長の実像①  No.23号 2010.5.5発

 本稿は創価学会の前身、創価教育学会に籍を置き、その活動の重要な一分野であった出版クラブで、全てを知り尽くした一幹部の遺稿です。

「本已有善」と「本未有善」とは?①  No. 23号 2010.5.5発刊

 小僧時代に教えられた解釈の誤りを整理します。

廣田頼道が大石寺へ帰る時 No.24号 2012.5.1発刊

 戒壇本尊が顕された源の法魂、久遠元初本因妙の法に目覚めることができるのか。

何故、墓の御題目に貫主の名前と花押があるのか No.24号 2012.5.1発刊

只、私が書いたと言う意味で署名している愚かな行為であります。
32p 【誤】祈念碑 → 【正】記念碑  【誤】著名 → 【正】署名 お詫びして訂正致します。

宗教法人三寶院設立に当たって、税務署で受けた説明(説教) No.24号 2012.5.1発刊

 宗教法人設立による社会的責務。包括宗教法人正信会は各々の寺院がそれぞれ自立し、そしてお互いに誡め合い、導き合い、励まし合い、正信覚醒の信念に叶った運用をしなければならないのであります。

日蓮正宗では、子供の時、親の意志で御授戒を受けた者は、①No.24号 2012.5.1発刊

 大人になって信心する心が無く、謗法の心を持っていても、信心を貫いて亡くなった親の葬儀や、法事の願主になれ、僧侶は、その者の御供養を受ける事が出来ると、法門が変質している事の間違い。信の宗旨に蘇生するために、僧俗全員が改めなければなりません。