法事での妙法の縁

法事で参詣される方の中には、当然ながら、信心の浅い方や全く信仰されてない方等、様々な方がいらっしゃいます。三回忌が終われば、四年後の七回忌になる事を考えると、少しでも妙法の縁を具体的に強く印象付けられるよう、かつ退屈と思われる方もいるので長くなり過ぎないようにと考え、当山の法事では始まる前に下記のようにお話ししております。

私から法事の前に御願いが有ります。
 ここに御集りの皆様方は亡くなられた方に、深い縁があって、亡くなられた方に安らかに仏の道へ進んで貰いたいという追善供養の志しで、此処に御集り頂いていると思います。
 そこで一つ御願いですが、私が、此処で御経、御題目を唱えるのは、皆さん方の代わりに唱えるのでなく、例えて言うとオーケストラの指揮者の立場で、集まられた皆さん方の追善供養の志を、バラバラの御経、御題目にならない様に導く係であります。音を出す、御経、御題目を唱える主体者は私でなく、あくまでも願主を中心にした、子や孫、兄弟縁者の皆様方であります。
「御経、御題目を聞き乍ら、何か分からん事をゴジャゴジャ坊さんが唱えているが、一体何時に終わるんだと思って退屈に聞いている。」と言われた事が有ります。それでは亡くなられた方に、安らかに仏の道へ進んで貰いたいという皆さん方の思いは、当然大切な人には伝わりません。これから唱える御経は、ゴジャゴジャでは無くて、私達の生命とは何なのかが説かれています。南無妙法蓮華経の御題目が薬の本体、御経は薬の成分の説明書という関係です。つまり、御経は聞くもので無く、自分で唱えるもの。そして、唱えるだけでは無く、少しでも説かれている様に生きる事の大切さを説いています。
 この御寺は、皆さん方に無理矢理御経本を配って、強制的に読んでくれとは言いません。無理矢理では供養にはならないし、皆様方の中には、違う宗教を信念を持って信じている方もいるからであります。
 日蓮正宗の御経は、産まれて初めての人でも、最初から最後迄同じリズムで。熟練した技も独特な節回しも無く,平仮名さえ読めれば子供でも読めます。ですから、亡くなられた方の為に安らかに仏の道へ進んで貰いたいという追善供養の心で読んで頂く事が一番供養の心を届ける最高の供養になると仏は、この御経の中で示されています。そして又、そうする事がこの法事をする意味になります。
ここに何冊か置いてある御経本は、この御寺に参詣する御信者さんが、自分用の御経本を自宅に忘れて来てしまったので、今日だけ貸して貰いたいという時の為の物ですから、沢山は置いてありませんので人数分足りるかどうか分かりませんが、亡くなられた方の為に読んでみようと思う方は、御経本を手に取って眼で追うだけでも、口ずさむだけでもして頂きたいと思います。それでは法事をはじめさせて頂きます。