鶴丸、亀甲、松竹梅の紋について      

 富士日興門流大石寺に於いては、文献資料が皆無の為、明確な起源は分からないが、
日蓮大聖人の紋を鶴丸
日興上人の紋を亀甲
日目上人の紋を松竹梅
と、定めています。大石寺から分派した、日興上人に連なる、興門八本山
北山本門寺
西山本門寺
大石寺
小泉久遠寺
下条妙蓮寺
伊豆実成寺
保田妙本寺
京都要法寺
も、法門の違いと言いながら、感情のもつれ、価値観の違い、法門解釈の違いから、分派した成れの果てで、現在身延日蓮宗に限りなく近くあっても、日蓮宗紋の井形橘の紋ではなく、全て宗派紋として鶴丸の紋を掲げ、アイデンティティーが日興門流にあることを表示しているのであります。
 さて、身延日蓮宗では、【井形橘】の紋を掲げます。
 身延日蓮宗に於いても、何故【井形橘】の紋を掲げるのか、いつ、誰が定められたのかの、文献資料が、過去の大火で焼失したのか、元々無かったのか、全く分からないので、こうではなかろうかという、推測で理由付けがされている状態なのであります。
何人もの、当て推量の著述を、総合的にまとめてみると、
日蓮大聖人の家柄は、日蓮大聖人がどれ程、「日蓮は旃陀羅が子なり」と言われようとも、父親の姓名は貫名五郎重忠といい、この貫名は、井伊家は「井伊共保」を始祖とする、平安時代から続く名家で、貫名は、この井伊家の分家に当たる姓名である。この井伊家は元々、権勢を誇った藤原家に縁する家柄である為、井伊家の家紋とする井形と藤原家が元々掲げていた橘を合体させた、【井形橘】を掲げ、旃陀羅が子は、日蓮のへりくだった謙遜であって、日蓮大聖人は、高貴な名家の血筋を引く方なのである。だから、その事を宣揚する為に、【井形橘】の紋を日蓮の紋とし、宗紋としているのである。
というのが、日蓮宗身延派の理論構成と主張なのであります。
かたや富士門流は、日蓮大聖人、日興上人、日目上人の家柄がどうだという探索を一切せず、日蓮大聖人の法を表現する、吉祥紋として、鶴丸、亀甲、松竹梅を掲げているのであります。家を出て、出家した者が、家柄に拘り、誇るという事は、滑稽で、一切衆生平等成仏に心を砕く出家とは言えなくなってしまうのであります。殺生を生業とする「日蓮は旃陀羅が子」も、自虐や謙遜では無く、承久の乱によって世の中の力関係が激変し、多くの人々が権力闘争の渦に巻き込まれ苦しめられて行った、日蓮大聖人の両親も子である日蓮大聖人自身も、翻弄され、その日暮らしを余儀なくされ、俄か漁師に生活の道を求めたのでありましょう。
この事を通して、何物にも変わらない真実の法を求め、悟り、一切衆生に伝えたい。人間の姿をしながら、人間として扱われない、旃陀羅であっても、生きて来て良かった、産まれて来て良かったと喜び希望、勇気が得られる、旃陀羅でも救われる法こそが真実の法なのである。この事を、日蓮大聖人は恥じる事無く、世間体や布教にはマイナスになる事を百も承知で、仏法に対する価値観の転換を訴えたのであります。
 身延日蓮宗は、あくまでも旃陀羅を恥、汚点と考え、日蓮の家柄は高貴であると糊塗する、名聞名利、立身出世の信仰観を表しているのであります。
 
 富士門の日蓮大聖人は【羽根先三枚の鶴丸】紋であります。大石寺にも文献資料が皆無な為、私自身が小僧の時から日々の修行生活の中で、目上の人に尋ね聞いた、幾つもの伝聞を総合して、富士門の信仰の基本、方向性、価値観を考えてみようと思います。
 伝聞によれば、富士門の、鶴丸紋、亀甲紋、松竹梅紋は、三師出自の家柄を表わすものでなく、【吉祥紋】であるという前提に立っています。
 【吉祥紋】とは、社会に於いて、めでたい、縁起の良い、良いしるし、その団体組織の思想、目的を紋様によって象徴的に、動物(鶴、亀、鳳凰、麒麟、竜、等々)植物(牡丹、松、竹、梅、蘭、菊等々)で、不老長寿、発展、偉大さ等々を形に表現することを、【吉祥紋】と呼ぶのであります。
 この点からも、あくまでも日蓮大聖人の、身分家柄を探究して、【井形橘】の紋を選出した、身延日蓮宗とは、思考の基本的方向性が、初めから、まったく違うのであります。 

 日蓮大聖人を表現する鶴丸紋は【鶴は千年亀は萬年】のことわざが有るように、鶴は千年生きることから、長命で極めて目出度い事を表現しています。
 日蓮大聖人は、釈尊入滅後二千年経過した白法穏沒の末法の時代に、釈尊や阿弥陀如来、大日如来、薬師如来、観音菩薩、地蔵菩薩等々におすがりする信仰でなく、これらの一切の諸仏諸菩薩が修行の末悟った法、如何なる法によって仏に成れたのかという、中味の法、南無妙法蓮華経の法を信仰の根本、本尊にしなければ、一切の諸仏諸菩薩と同様に仏に成る事は出来ないと、仏を本尊とする各宗各派の信仰観から一転して、唯一法を本尊として立てたのであります。
 左右の羽先が三枚になっているのは、本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇の南無妙法蓮華経の法を具現化した、三大秘法を顕わし、その三大秘法を抱え持った事を表すために、羽先の三枚羽根にこだわります。この三枚羽根の鶴丸は、一般的に出版されている『家紋帳』には掲載されていません。何種類もの鶴丸紋が掲載されていますが、その殆んどが、一枚羽根、二枚羽根であります。ですから、富士門で鶴丸紋を造形する時には、家紋帳に掲載されている、鶴丸紋をアレンジして三枚羽根にするように気を配らなければいけないのであります。700年富士門で掲げている歴史がありながら、家系を中心に編纂されている家紋帳には、吉祥紋系は番外扱いにされているのではないかと推察します。
次に、富士門、二祖日興上人の吉祥紋は、亀甲であります。六角形を下二つ上一つの三つを正三角形に組み重ね、三つの六角形の真ん中には菱形花菱一輪がそれぞれに描かれている形状であります。
 花菱は、ケシ科の多年草(観賞用は一年草)可憐で、特別世話をしなくても群生していく逞しい植物であります。実際は丸い花ですが、四つの花弁を連続模様でも用いる事が出来る様に、デザイン化された、唐花菱型が家紋には多く用いられるのであります。
 亀甲は、【鶴は千年亀は萬年】の、日蓮大聖人の鶴丸紋と連結して、日蓮大聖人の立てられた謗法厳戒の、久遠元初・本因妙・一念三千の法を、守り伝える為に、身延を離山し、熱原法難の地である富士に南条時光殿の上野の領地の寄進を受け、「いずくにても聖人の御義を立てまいらせる」謗法厳戒の寺を建立したのであります。
 つまり、鶴丸紋は、日蓮大聖人御自身が定めたのではなく、日蓮大聖人の入滅後、日興上人が、日蓮大聖人の生涯を振り返り定めたはずであります。そして、日興上人の亀甲紋も、日興上人入滅後、日目上人が日興上人の、堅く謗法厳戒の法を守り抜いた生涯に思いを馳せ、亀甲紋に定めたはずであります。
 日目上人の吉祥紋は、松竹梅紋であります。
この松竹梅紋も、『家紋帳』には掲載されていない、富士門特有の吉祥紋であります。
松は、どんな風雪にも耐え、樹木の王と称される木であります。信仰者も、どんな艱難辛苦も試練と受け止め変毒為薬し、成仏を遂げる。竹は上下の礼節を守り、報恩の心を持ち、天に向かって真っ直ぐに伸びる、梅は、「梅一輪天下の春を知る」と言われる様に、長い冬の寒さに耐え、一輪でも、春を告げる香りを地域に漂わす健気さを持った花木であります。
この、松竹梅の様な法華経の行者として、人間として、日目上人に連なる者として、生きなければいけないとの戒めと指針を表現しているのであります。
当然、この松竹梅紋も日目上人入滅後、四世日道上人が、日目上人の生涯と、一閻浮提の御座主と称せられる、後世の手本の代表となる姿を総合して、定めたものであります。
 つまり、鶴丸紋、亀甲紋、松竹梅紋は御自身が生前定めたものであるとの、文献が無い以上は、当然滅後の遺弟が妙法に順じて定めたものと考えるのが妥当であります。
 富士門の、日蓮大聖人を表す鶴丸紋、二祖日興上人を表す亀甲紋、三祖日目上人を表す松竹梅紋は、ただ単に三師個々の表記としての吉祥紋ではなく、末弟末流の我々に、日蓮大聖人が末法の本佛であり、仏寶である事、第二祖日興上人が、日蓮大聖人入滅後、五老僧が次々と日蓮大聖人の仏法を自己流に改変して行く中で、日蓮大聖人の仏法を堅固しなければならないと、謗法厳戒の信心を貫く為に身延離山をするのであります。日目上人も、迷う事無く、日興上人と共に身延を離山し、日興上人と共に大石寺を開墾から整備して行き、日興上人が重須に移った後にも、潤沢な資金も無い、生活も困窮する中、弟子の育成、諸堂整備、
毎年の国家諫暁を入滅迄、貫かれるのであります。
 大石寺の吉祥紋は、三師を上げ奉る為の物では無く、末弟の我々が法華経の行者として成仏を目指す者が、どの様に精進しなければいけないのかを指し示す指針なのであります。
 加えて、富士門大石寺では、紋は日目上人の松竹梅紋までで、以下四世日道、五世日行等々の歴代に於いては、家紋を掲げるという事はしないのであります。これも、文献が残っていないので推測するしかないのでありますが、根深い名聞名利の煩悩は、「煩悩の犬は追えども去らず」との格言もあるように、他宗他門では、権勢を誇った貫主、中興の祖といわれるような貫主がいると、像が作られ、御宝前に安置され、堂を作り安置し、本尊同様に偶像崇拝されるという事が当然の様に行われています。世間で言えば、巨大な銅像、胸像を建立するのと同質であります。
 大石寺では、御影は日興上人迄、三師塔、吉祥紋は日目上人迄と定められているのであります。他宗他門の、何でもありの野放し状態が世間では当然の感覚からすれば、大石寺が厳護して来た、この限定形態は、日目上人が御影は日興上人迄と厳命した事が不文律として、当然の事として厳護されて来たのだと考えます。しかし、大石寺も京都要法寺の影響を受けた時代から、絵柄綾織の法衣を階級に順じて着用する様になり、能化職に当たる者は、出家者であるにもかかわらず、自らの出自家の家紋を袈裟に縫紋をし、貫主は、輪宝や鶴丸、家紋まで縫紋するようになってしまい、明らかに名聞名利の迷走を迷走と考えず、立身出世の名誉と考えているのであります。三師の吉祥紋に、末法の法華経の行者として、守り、心掛けなければいけない事を込められた、法門と言える精神が、近代、断ち切られた状態で矛盾とも思われず踏みにじられ名聞名利を自慢し、現代に行われ続けているのであります。
 「日蓮は旃陀羅が子なり」一切衆生平等成仏の妙法を根本とした象徴である、三師の吉祥紋に込められた、富士法門(信仰観・成仏観・価値観)の志に立ち戻らなければいけないと考えます